この本は、先日セカンドアルバム「B級映画のように2」を発表した一宮のラッパー田我流(でんがりゅう)が薦めてくれました。
この本を読んで、田我流のアルバムを聴いてみて、まったく同じ姿勢を感じました。
日常生活の中で、この社会のどうしようもないシステムの中にがんじがらめにされ、まき込まれながら、しかし最後まで闘う。私はちょうど一年前に統一地方選挙に挑みました。
それこそ、危機にみちた人生だ。
何でもないことに筋を通すことの方が、カッコいい冒険よりもはるかにむずかしいし、怖ろしい遊びなのだ。
朝起きてから寝るまで、瞬間瞬間の闘い。ごく些細なものから、重い決断まで、さまざまだ。
瞬間瞬間に賭けて、人生の価値をまったく転換してしまわなくてはならないのだ。
人生、即、絶望的な闘いなのである。それは絶え間のない、永遠の冒険だと言ってもいい。(p115・116)
それは「私が思うことを、反対だと思うことを、こうすべきだと思うことを、もっと自由に、もっと強烈に、表現するため」でした。
その手段として、政治家という立場を使うためでした。
しかし、選挙活動を始め、票というものの獲得を意識しながら、活動を続けると、続ければ続けるほど、自由に「私の思うこと」を言わなくなっている自分に気づくようになりました。
いつの間にか、手段と目的が逆転して、「瞬間瞬間に闘う」ことよりも、妥協することになってしまったようです。
激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。これは岡本太郎の生き方であり、芸術家の生き方、つまり全ての「表現者」の生き方だと思います。
しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
・・・変えようと思っても、変わらないのは事実なんだ。
だけど、挑むということでぼく自身が、生きがいをつらぬいている。
ぼくは絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが、ぼくの姿勢だ。(p124・125)
ラッパーも、映画監督も、政治家も、「表現者」として、めざすべき生き方だと思います。
そのために「日常生活の中で」、「瞬間瞬間に賭けて」、いたるところで、問題提起してゆくことを決めました。
私が所属する中小企業家同友会でも、職場でも、PTAでも、自治会でも、支援者に対しても、仲間に対しても、親族に対しても、家庭でも、大切な相手であればこそ、課題に思うことや疑問に思うことを、はっきりと提起してゆく生き方を選びます。
日常の小さなことに対して自分を貫くことのできる人だけが、社会という大きな対象に挑めるのだと、この本から改めて学びました。
笹本貴之

