2019年04月01日

時空を越える文章

これまでたくさんのことに影響されてきた。
それは言葉であり、行動であり、作品だった。
そしてそれらは、明確に覚えていることもあれば、忘れてしまっていることもある。
カタチとして残っていることもあれば、カタチになっていないこともある。
「あの日、あの時、あの人の、あの言葉」として心に残っていることでも、それはカタチとして残っているわけではない。
普段は忘れていたことでも、久しぶりに観た映画から、久しぶりに開いた本から、久しぶりに眺めた絵から思い出すこともある。
もちろん、無意識のうちに影響されていた父の背中(行動)は、だんだん曲がってきて、いずれはカタチがなくなる。

私たちは、こうして有形無形の表現に接して、影響されて、学んできて、成長している。

私は小さな会社の経営者だが、経営それ自体も一つの行動として、私の表現だと思っている。
どのように立ち上げ、どのように信頼をかちとり、どのように今の場所(studio pellet)に辿り着き、そしてどう運営しているのか。また、経営はきれいごとだけでは成立しない。ただ、きれいごとがない経営は意味がない。つまり、地域社会できれいごと(事業による社会貢献)をするためには、お金を稼いで会社を継続させなければならない。経営とは、こうしたこと全てを社員や仲間や取引先やお客さんと相互理解の上で共につくりあげることであり、無形の芸術作品だと思う。

だから私は、日々考えることとその行動を、カタチとして残したい。
SNSで流されてしまう言葉ではなく、きちんと時間をかけて推敲した文章(エッセイ)を、長い短い関係なく、ちゃんと残したい。

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それは私の整理になり、深まりになり、生きた証しになり、批評の対象になる。だから覚悟になる。
そしてもしかしたら、時空を越えて、何処かの誰かに影響を与えることがあるのかもしれない。

笹本 貴之
タグ:表現
posted by 笹本貴之 at 14:17| 私の考えていること