2012年09月27日

『痴呆を生きるということ』を読んで

『痴呆を生きるということ』小澤 勲(岩波新書)を読みました。

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私にも、もう10年も前から認知症で施設にいる祖母がいます。
会っても、私のことは分かりません。自分の子ども(私の母)のことも、分からないことがあるようです。
そうするとやはり「会っても仕方がないのではないか」と思ってしまいます。
「かえって私が行くことで、本人が混乱してしまうんじゃないか」と言い訳したくなります。

しかしこれは、認知症を「外側から理解」しているだけなのだ、と思います。

この本は、そんな認知症を医師として、一人の人間として、「内側から理解」しようとしています。
そうすると、認知症の理解を入口に、人間のこと、夫婦のこと、親子のこと、家族のこと、社会のこと、医療のことなど、生活の中のさまざまな「生きること」の本質を考えることになっていきます。
だから、本文の中には問題提起や疑問がたくさん出てきます。それは認知症の側から、いまの社会を見たときに生ずる根本的な問いです。

小澤さんは最後に強烈に主張します。
「痴呆を病む人たちの不幸と悲惨は、私たちがつくり出した不幸であり、悲惨なのだ。」

もちろん、この本は単にモラルを語っているのではありません。
人間の生き方について、深く考える機会を得ました。

笹本貴之
posted by 笹本貴之 at 12:23| 孤独な読書

2012年07月18日

『(日本人)』を読んで

『(日本人)』橘 玲(幻冬舎)を読みました。

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この本は、自分自身の「軸」について考えようと思って読みました。

特に「3・11東日本大震災と福島第一原発事故のあと、さまざまなひとたちが『日本』『日本人』について論じ」(p1)てきました。
そしてその論旨は、「日本の被災者は世界を感動させ、日本の政治は国民を絶望させた。」という一行で要約できる(p1)と、本書では言っています。この二種類の「日本人」は全く異なった意味で使われています。

また、山梨で地域を論じるとき、決まって「閉鎖的」という言葉が使われます。
しかし、この言葉は他県の田舎に行ったときには、どこでも自分を表現する言葉として使われることに気づきます。

「欧米は個人主義」、「日本は集団主義」という言葉も自明の理のように繰り返されますが、自治会やPTAでの私の経験を考えると、本当か?と思います。

日本人は「空気を読む」もそう。私がアメリカにいるとき、会議中は押し黙って、会議後に文句を言うアメリカ人にたくさん会いました。

選挙では「地縁」「血縁」に頼るべきだ、とよく先輩方に教わりましたが、半分以上が投票しない現在において、これも本当のところどうだろうかと思うわけです。

「グローバル」「ローカル」、「大きな政府」「小さな政府」、「自由」「平等」・・・・。


本書では、こういった言葉の「本当のところ」を一つ一つ論じ、定義づけています。

この社会にはたくさんの課題があります。原発も消費税もリニア建設もTPPも。
そしてそれに対し、賛成? 反対? と単純な解が問われます。
しかし、これは議論じゃないですよ。

やはり言葉を丁寧に定義することから、議論は始まるのだと思います。

この本を読んで、私にはまだ明確な「軸」がないなあ、と実感しています。
言葉の定義も本当に曖昧でした。
このままでは発言がぶれてしまう。まだまだ学習します。

笹本 貴之


posted by 笹本貴之 at 12:00| 孤独な読書

2012年07月16日

『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』を読んで

『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』 福島原発事故独立検証委員会著(ディスカヴァー)を読みました。

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東日本大震災の翌年、「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)は、独自に調査・検証をすすめていた東京電力福島原発事故について、この「調査・検証報告書」を発表しました。

この「独立検証委員会」とは、政府や自治体、東電などからは独立していて、彼らに遠慮なく厳しい批判ができる、ということです。

福島原発事故はたくさんの犠牲を出しました。いまもなお、解決できていない問題が沢山あります。
それでも、あえて一つだけ良かったことを挙げるとすれば、それは「これまで見えなかったこと」「見えないふりをしてきたこと」が明らかになって、議論の対象になってきたことではないか、と思うのです。

考えてみてください。2年前、「原発反対!」と言えたでしょうか?
そんなことより、「原発=クリーンエネルギー」という洗脳が、(私を含め)日本中で蔓延していたのではないでしょうか?
そう考えると、原発に「賛成」「反対」という議論ができることだけでも、進歩だと言わざるを得ません。

本書の成果は、福島原発事故を通して明確になった事実や課題をまとめて、タブーなく論点を提示していることだと思います。
単なる「原発の賛成/反対」議論を超えて、せっかく公然となった(平時を含む)日本の抱える問題を議論してゆくための、つまり福島原発事故を活かすための報告書です。

最終章の「福島第一原発事故の教訓」では、以下のような表題で考察をまとめています。いくつかの例を示して、私のまとめとします。

  • 人災―「備え」なき原子力過酷事故
    • (全電源喪失過酷事故への)備えを怠った背景には、原子力の安全文化を軽視してきた東京電力の経営体質と経営風土の問題が横たわっている。・・・(これを)許容した点では、原子力安全・保安院も、原子力安全委員会も責任は同じである。(p384)
    • SPEEDIもオフサイトセンター同様、結局は原発立地を維持し、住民の「安心」を買うための「見せ玉」にすぎなかったように見える。(p385)
  • 絶対安全神話の罠
    • 過酷事故に対する備えそのものが、住民の原子力発電に対する不安を引き起こすという、原子力をめぐる倒錯した絶対安全神話があった。(p385)
    • (原発の安全性向上のための)改良をすると、これまでの安全装置と安全規制が不十分だったのかと批判される恐れがあるし、それを認めることになりかねない。(p386)
  • 安全規制ガバナンスの欠如
    • 原発安全規制をめぐる規制官庁側と東電の関係は、実際は技術力、情報力、政治力に優る東電が優位に立っていた。危機にあたって、保安院は、東電に頼って対応せざるを得なかった。しかし、危機は、東電の能力の限界をはるかに超えていた。(p387)
  • 「国策民営」のあいまいさ
    • 原子力の安全規制や放射性廃棄物の処分、さらには過酷事故の対応に関しては、国が責任を持つ以外ない。(p388)
  • セキュリティーなき安全
    • 日本政府は国の力を統合できていない。資源の動員は縦割り行政の壁に阻まれ、情報は官僚機構のたこつぼの底に滞留している。国民を守るのにどこが最後に責任を持つのか、それを誰が決めるのか。(p391)
  • 危機管理とリーダーシップ
    • 上位機関のリーダーシップ不在が現場に負担としわ寄せを強いた事例。(p391)
    • 政府の危機管理は、ルーティーン(通常)の価値観に則って行動する官僚機構を、どれだけ早く緊急時対応に切り替えるか、がカギである。・・・危機の際の意思決定では、柔軟性、臨機応変、優先順位の明確化、余剰、トップダウンなどを優先させなければならない。(p394)
  • 復元力(レジリエンス)
    • 危機管理は、事故や災害の原因と、それらへの取り組みから教訓を導き出し、そこから新たな目標と方法に向けての国民的合意をつくることで完結する(女川原発や東海第二原発のように、過去の津波対策が功を奏した例もある)。最後は、国と組織と人々の復元力を高めるために行うのである。(p396)
 
笹本 貴之
posted by 笹本貴之 at 18:13| 孤独な読書

2012年04月19日

『自分の中に毒を持て』(岡本太郎)を読んで

『自分の中に毒を持て』岡本太郎著(青春文庫)を読みました。

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この本は、先日セカンドアルバム「B級映画のように2」を発表した一宮のラッパー田我流(でんがりゅう)が薦めてくれました。
この本を読んで、田我流のアルバムを聴いてみて、まったく同じ姿勢を感じました。



日常生活の中で、この社会のどうしようもないシステムの中にがんじがらめにされ、まき込まれながら、しかし最後まで闘う
それこそ、危機にみちた人生だ。
何でもないことに筋を通すことの方が、カッコいい冒険よりもはるかにむずかしいし、怖ろしい遊びなのだ。
朝起きてから寝るまで、瞬間瞬間の闘い。ごく些細なものから、重い決断まで、さまざまだ。
瞬間瞬間に賭けて、人生の価値をまったく転換してしまわなくてはならないのだ。
人生、即、絶望的な闘いなのである。それは絶え間のない、永遠の冒険だと言ってもいい。(p115・116)
私はちょうど一年前に統一地方選挙に挑みました。
それは「私が思うことを、反対だと思うことを、こうすべきだと思うことを、もっと自由に、もっと強烈に、表現するため」でした。
その手段として、政治家という立場を使うためでした。

しかし、選挙活動を始め、票というものの獲得を意識しながら、活動を続けると、続ければ続けるほど、自由に「私の思うこと」を言わなくなっている自分に気づくようになりました。

いつの間にか、手段と目的が逆転して、「瞬間瞬間に闘う」ことよりも、妥協することになってしまったようです。
激しく挑みつづけても、世の中は変わらない
しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
・・・変えようと思っても、変わらないのは事実なんだ。
だけど、挑むということでぼく自身が、生きがいをつらぬいている。
ぼくは絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが、ぼくの姿勢だ。(p124・125)
これは岡本太郎の生き方であり、芸術家の生き方、つまり全ての「表現者」の生き方だと思います。
ラッパーも、映画監督も、政治家も、「表現者」として、めざすべき生き方だと思います。

そのために「日常生活の中で」、「瞬間瞬間に賭けて」、いたるところで、問題提起してゆくことを決めました。
私が所属する中小企業家同友会でも、職場でも、PTAでも、自治会でも、支援者に対しても、仲間に対しても、親族に対しても、家庭でも、大切な相手であればこそ、課題に思うことや疑問に思うことを、はっきりと提起してゆく生き方を選びます。

日常の小さなことに対して自分を貫くことのできる人だけが、社会という大きな対象に挑めるのだと、この本から改めて学びました。

笹本貴之
posted by 笹本貴之 at 01:11| 孤独な読書

2012年03月27日

『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』を読んで

『ナインデイズ 岩手県災害対策本部の闘い』河原れん著(幻冬舎)

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東日本大震災発生後、9日間の岩手県災害対策本部の闘いを描く、ノンフィクションです。
津波や火災などの被災地の様子、救助現場の混乱はもちろんですが、「災害対策本部」という行政(県庁)の対応が書かれています。
そこには政府と県庁との関係、県庁と医療の関係、そして自衛隊・警察・消防の役割などが見えてきます。

私たち庶民は、日頃、役人(行政)の悪口ばかり言いがちですが、この本からは役人(行政)の仕事と覚悟が読み取れます。
(私の経験上、使命感を持った職員がたくさんいることは事実です。)

ただ、リアルな9日間の描写以外にも、このような非常時の行政の役割をせっかく書くのであれば、各々の持ち場と役割、知事や市長や部門長などのトップの役割、震災直後から日を追うごとに変化する使命など、もっと深く、もっと突っ込んで欲しかったと思いました。

これからも社会のシステムをテーマに、東日本大震災関連の本を読んで行こうと思っています。

笹本貴之
posted by 笹本貴之 at 00:13| 孤独な読書