2019年05月07日

いま山梨で選挙の争点とは?

今年は4年に一度の選挙イヤーだった。
私の住む山梨県甲府市では、県知事選、市長選、県議会選、市議会選と続いて、先月全て終了した。

この選挙イヤーは、最初の県知事選で大きな流れが決まったのだと思う。ただ、その流れはあくまでも政治家(候補者)側のものである。

県知事選では、2期目をねらう現職の後藤氏を、新人の長崎氏(元財務官僚・前衆議院議員・自民党二階派)が破って当選した(同時選挙だった市長選は無風のまま現職が当選)。その長崎新知事の訴えは「停滞から前進へ」というもの。
「現在の山梨県(特に経済)は停滞している緊急事態。一刻も早く政治主導・中央主導の施策(お金)で前進に転ずべき」というメッセージで信任された。これは典型的な中央集権への回帰を示すもので、より政権与党に近い立場の政治家こそが、より多くの恩恵(公共事業など)を地方に持ってくる、という前近代的な政策に私には思えた。

そして、その後に続く県議会選でも「新知事を支えたい!」という自民党議員が多数当選し、市議会選でも多くの候補が自民党系として当選した。特に県議会では、その自民党議員たちが定数の7割を占める大会派をつくって新知事を支える体制をつくった。まるで新知事を頂点にした強固な自民党ピラミッドができてしまったようだ。そしてこのピラミッドは内部に序列をもつ。いわゆる若手政治家たちは、底辺の市議会議員になることでこの序列の仲間入りを果たし、県議会議員をめざす。県議会議員になれた者は、次に首長や国会議員の順番を待つ。

このような流れは政治家側だけの都合であり、県民や市民の福祉には関係ないものだから、軒並み投票率も低かった。県政権交代というテーマがあって県知事選が58%になったものの、その後の県議選は44%、市議選は43%と過去最低だった。県民・市民の感覚からすると、無理もないと思う。上昇志向旺盛な政治家たちの立身出世物語に加担したところで、何になる? 自民党以外の候補者はいても対立軸がよくわからない。こうして高い投票率でも60%弱、つまり県民・市民の半数が参加していない政治の意味とは。

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以上がこの選挙イヤーの私の現状認識だ。
このように見てきて最も問題だと思うのは、選挙の争点がなくなってしまった、ということである。
政権与党に近いとか、新知事と親しいとか、そんなアピールばかりが聞こえてきて、自民党以外の候補者は蚊帳の外。
そしてついに、選挙の場で「地方分権」や「地域主権」という言葉が消えてしまった。

そもそも「地方分権」や「地域主権」という言葉は、2000年に地方分権一括法が施行された時から聞かれるようになった。この法律は国と地方の上下関係を解消し、地方の自主裁量を高めようとするもの。もちろんこれは行政の制度の話ではあるが、この年を境に、従来の中央の掛け声による全国一律の国づくりから、地方独自の特徴を活かした多様で主体的な地域づくりへと、自治体でも民間でも意識改革の機運が高まった。中央から公共事業を引っ張ってくるだけの利権政治にもいずれ終わりが来るかに見えた。以後今日に至るまで「まちづくり」や「まちおこし」「地域活性化」と言われる各地の活動は、それが行政主導のイベントであっても、民間主体の事業であっても、一貫してこの改革の流れの中に位置付けられると思っている。私たちが企てた「ワインツーリズム」も、地域が誇りを取り戻すための運動としてここに立脚している。

もちろん、国の借金が1000兆円を優に超え、少子高齢化もますます進む日本社会において、どんな分野においても改革が前提の時代だ。そんな時代の選挙イヤーに、ちょうど地方分権一括法が施行された2000年から20年目の2019年に、山梨県知事選では「国とのパイフ」や「公共事業による活性化」というフレーズが高らかに叫ばれたのである。

この山梨県で、最も争点にすべきは「中央依存か、地方の自立か」ではなかったか?

私以外にも、この地方のまちで地方分権を信じて活動してきた者たちは多いはずだ。ワインツーリズムだけじゃなくて、朝市だって、フットパスだって、朝会だって、マルシェだって、B級グルメだって、リノベーションだって、ヒップホップだって、映画だって、地域医療だって、6次産業だって、就農だって、起業だって、ローカルを語る活動や仕事は全て、自らが主役になる時代を信じて試行錯誤してきた。私の場合はその先に選挙に出て落選し、今はローカルビジネスの世界で studio pellet という場をつくって軌道に乗り始めている。ようやく自信がついてきた。
もちろん地方の中小企業・小規模事業者は業種を問わず、時代の流れを意識して、みんな自立をめざして会社を変革してきた。
業態それ自体を変えた会社、異業種に参入した会社、独自ブランドを立ち上げた会社、下請けを減らした会社、事業規模を絞った会社、事業グループをつくった会社などなど。
そんな現場の努力を無視して、いま頃「政府とのパイプ」とは何だ!納得いかない。この状況下、選挙に行かない自由すら理解できる。

笹本 貴之 

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posted by 笹本貴之 at 14:24| 地方政治/地方議会を考える

2011年09月12日

行政評価アドバイザー会議を傍聴してきました。

先週の金曜日から日曜日の3日間、山梨県では「行政評価アドバイザー会議」が開かれました。いわゆる山梨版「事業仕分け」です。

私たちが税金を払って、それを使って県が事業を行う。
そしてその事業がどれだけの効果があったのか、将来に向けてどれだけの価値があるのか、評価することは、非常に重要なことだと思っています。

行政でも企業でも、「予算−実施−評価−予算・・・・」という当たり前のサイクルを繰り返しています。
企業の場合はそのサイクルの結果は、事業の存続という形ではっきりと表に出てきます。
しかし、行政については「どうもはっきりしない」と一般県民は思っています。私はそのように率直に思っています。

例えば、甲府中心街に建設された「ココリ」に代表されるようなハコモノ行政の懲りない失敗や、いまだ繰り返される補助金頼みの一過性の地域活性化イベントを見ると、憤りを感じますよね。

なぜこうも懲りないのか?
なぜ同じような失敗が繰り返されるのか?

私は、上記サイクルの内の「評価」がポイントだと思っています。



そこで、行政評価アドバイザー会議の最終日(9月11日)。14:30から17:30まで傍聴してきました。
(実はアドバイザーのお一人、田中佑幸公認会計士は私の高校の先輩です。)

このように公開の場で専門家が県行政の事業を評価する、ということ自体の意義を感じました。
しかし、大きな限界も感じました。

事業費が有効に使われているか、といった財務上の判断(評価基準)に偏り、その事業が「実際にどれだけ山梨のためになっているか?」といった実態の判断には結びつきづらい、ということです。
要するに「いろいろ言うけど、本当にその事業は必要なのか?」とか、「似たような事業がたくさんあるけど、一つでいいんじゃないか?」とか、気持ちの良い本音の議論がありませんでした。

行政評価アドバイザー会議、山梨県議会、県の各部局、そして県民。もっと本音で語れる仕組みができないものか、と思います。
インターネット中継をどれだけの方が観ていたか分かりませんが、私が傍聴していたときは、100人以上は座れる傍聴席に4〜5人しかいませんでした。そのうち県議会議員が1人でした。



私が最も強く思うのは、行政の事業でも民間の社会的事業でも、それを正しく評価する「基準」が存在しない、または極めて古い、ということです。

この「新しい評価基準」「新しい価値観」を議論し、示して行くことが、この時代に必要だと思うのです。
つまり従来の「規模」「回数」「人数」「売上」「効率」という基準でしか、私たちはものごとの判断、評価ができない。
「量」にしか価値を見いだせないことが、私たち地方に住む人々の最大の限界だと思います。

「量」の価値観は、いまや大都市のものです。

経済成長が終わったいま、小さな山梨は「量」で評価したら、ないも同然。早く大きな県に吸収してもらったほうがいい、となります。


ではどうするか?


やはり「質」で勝負するしかないでしょう。
「新しい豊かさ」を示して、持続可能な自立した地域をめざし、世界の同じような境遇の地域のモデルをつくることしか、存在感を示す手段はないでしょう。

私は「行政評価」でも「事業仕分け」でも、そんな価値観の転換の必要性に県民が気づくことが、意義だと思っています。

私の人生の目的は、「自立」という価値観を社会の中心に据えることです。
当然、私の実践する全ての活動(ワインツーリズム映画「サウダーヂ」マナビノバKOFU PRIDE、そして選挙・・・・・)は、そのための具体的な手段です。

このように考えてきますと、改めて県議会とはいったい何? と率直に疑問に思います。
行政と行政評価アドバイザー会議との関係は分かります。
しかし、このことと県議会との関係が、全く分かりません。
そもそも県議会にもこの「評価」する権限と責任があるはずでは?

山梨は全ての前提を疑ってかかり、全てのタブーを振りほどいて、率直な議論をすべき段階に既に来ています。

笹本貴之
posted by 笹本貴之 at 23:16| 地方政治/地方議会を考える

2011年08月11日

議会改革って本気?

山梨県議会では「議会基本条例」の検討会が開かれたようです。
議会改革のために議員自ら動くということだと思います。

しかし私はこれには懐疑的です。

自らの足元を改革できない人には、大きな組織の改革は絶対にできない。
当たり前のことだと思うのですが、我々県民・市民は、もっとこのことに敏感にならなければいけないと思うのです。

つまり、議員の皆さんが、これまでご自身の属す組織を本気で改革してきたのか? という問いが必要だということです。

彼らの後援会、自ら長を務める職場や協議会、そして最も根本は家庭の改革をやってきたか?
そこでは一部の長老が牛耳っていないか?
声の大きな人の顔色をうかがう組織ではないか?
皆が空気ばかり気にするタブーの多い組織ではないか?
議論ができる民主的関係が本当にそこにあるのか?

私の「足元の改革」は、まさに毎年のワインツーリズム実行委員会で実践しているつもりです。
私たちの会議は公開しています。どうぞオブザーバーとしてご参加ください。

今日は19:30からフォーハーツカフェで甲府ルートのミーティング。
来週の17日(水)には勝沼防災センターで勝沼ルートのミーティング。
再来週は22日(月)に勝沼防災センターで全体の実行委員会。

笹本貴之
posted by 笹本貴之 at 14:33| 地方政治/地方議会を考える

2011年01月12日

地方議員の職責規定の必要性

昨日(2011年1月11日)の山梨日日新聞の記事を紹介します。

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全国都道府県議会議長会が「今後、地方分権が進展してくると、地方議会の責任が重くなるので、地方議員の本来の機能「行政のチェック」と「政策提言」を職責規定として地方自治法に新設する案をまとめた」と言っています。

なんでも、この都道府県のあり方を規定する「地方自治法」には、知事や市町村長などの首長の職責の規定はあっても、地方議員に関する職責規定はないようです。

これには驚きです。

法律に規定のない公の立場が、地方議員なわけです。
そしてそんな立場に甘んじているのが、いまの議員なわけです。
しかし、それではあまりにも情けない。

今回の議長会の試みは、地方議会の存在意義に対する危機感の表れだと思います。
その意味で、この改正試案を行政からではなく、議会側から提示されていることに意義があると思います(本当のところの理由は分かりませんが)。

住民の代表として議員に選出された以上、住民の税金で生活する以上、たとえ法律になくても常に「本来のあり方」を意識する気概が欲しいものです。
なぜなら、政治家は原理・原則を考えて、理想を述べてそれを貫ける数少ない職業の一つだからです。

私は今回の山梨県知事選挙への山梨県議会議員の行動に、深い疑問を抱いています。
県知事と県議会議員の「二元代表制」という原理・原則に照らしてみて、今回のように「こぞって現職知事の選挙対策本部入り」することに何も違和感を抱かないのか? 共産党以外は全員です。新人の候補者まで、決起集会への参加を表明しているようです。

あれ? 私だけ不参加なの?


識者は言います。
「自分の選挙のために選挙協力するんだよ。そんなの常識だよ」と。
私は現状の説明を聞いているのではありません。いまこそ、そんな常識を疑ってみる必要があるのではないか。そう思うのです。

今日の朝も、街頭演説します(出だしはいつも緊張気味です)。


笹本貴之 /笹本貴之と「山梨の自立」をめざす会
posted by 笹本貴之 at 01:53| 地方政治/地方議会を考える

2011年01月10日

不透明な公費の使途 調査のはずが無尽や「旅行」

昨年12月20日の山梨日日新聞の連載「地方議会を考える」について、コメントします。

何度も言いますが、いま地方議会は、その存在意義を問われています。「不要」だと、多くの生活者が思っています。

議会で質問しない。
質問しても行政職員が用意した台本の棒読み。
陰で「口利き」はしても、公の議会の場では議論なし(執行部の原案通り)。
たまに見かけると思うと、決まって冠婚葬祭にいる「葬式議員」。

これだけでも、かなりキビシイですよね!

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そんな議会、例えば山梨県議会には議員定数が38あって、毎年私たちの税金が9億円ほど使われています。
この金額には、議員の調査研究活動を目的に支給される「政務調査費」、議員一人当たり月額28万円(県議会の場合)が含まれています。
この「政務調査費」という公費が、個人的な「無尽」や視察とは名ばかりの「旅行」に使われているというのです(上記、記事)。

議員の報酬も政務調査費も、れっきとした税金です。
これは自由に使えるわけがなく、特に使途が決められた政務調査費はその使い方をオープンにするのは当たり前のことです
使っているのは税金・公費です。きわめて自覚的になるべきです。
民間企業が会社のお金を経費として使うのとは、わけが違います。

しかし! しかしです!
私たち民間人だって、税金を不透明に使ってしまうことはありませんか?
例えば「補助金ありきの地域活性化イベント」がその例です。
「税金だからもらわなきゃ損!」という発想で、本来の補助金の目的とは関係なく、もらったり使ったりすることはないですか?
その証拠に、補助金がついたからといって実施する「地域活性化イベント」は、補助金がなくなったらやめてしまいます。
(私たちはそうなりたくなくて、今年のワインツーリズム2010では、昨年までもらっていた年間200万円の補助金を拒絶しました。)

マスコミでは、よく「政治」を叩きますが、政治だけが悪いなんてこと、ありえません。
よく考えてみると、政治の舞台から見えてくる「悪いこと」は、私たちの日常でも大なり小なり同じようなことはありませんか?

いいですか! 議員のお金の使い方も、そのことに無自覚な議員も、これを認めているのは、我々山梨県民なんです!
議員が無尽を月に100軒やるのも(上記、記事)、年間300以上の冠婚葬祭に行くのも、それが県民に求められているからやるのです。

ただ、それを認めない、そんなことを求めない県民がいることを私は知っています。
そんな議員の議会ならもういらない、と思っている県民がたくさんいることを信じています。

だから私が、従来の議員ではない「本来の議員という選択肢」をしっかりと示します。


笹本貴之 /笹本貴之と「山梨の自立」をめざす会
posted by 笹本貴之 at 00:00| 地方政治/地方議会を考える